満鉄欧州にてポスター募集

1937年02月

満鉄パリ事務所では、欧米人の満洲国に対する認識を深める為一等一万フラン、二等三千フラン、三等一千フランの賞金を懸けて、「来れ満洲国に」と題するポスターを欧洲に於て募集したが、各国から四百五十点許りの作品が集り二月二十四日からパリで其の展覧会を開いた。尚其の中四十点は大連本社に送附後満洲及び内地で展覧することとなつた。

貴族院に於ける現代美術館問答

1937年02月

開会中の帝国議会三月二十五日貴族院予算委員第三分科会に於て、委員関谷貞三郎は現代美術館建設の必要を説いて政府の努力を希望する意見を述べ之に対する政府の所見を質問した。之に対し政府委員河原文部次官は至極同感なる旨を述べ文部省が能ふ限り尽力する考であるとの意昧を答弁した。

体育芸術協会組織拡大

1937年02月

昭和十五年開催予定のオリンピツク東京大会に関しては関係諸方面に準備が進められてゐるが、芸術競技参加の為大日本体育芸術協会では真の組織を拡大して全芸術界を動員することとなり、副会長、顧問等の役員を増員する外、二月二十二日丸之内工業倶楽部に日本画、洋画、彫塑、工芸、建築、音楽、写真、文芸に亙り各部門の代表的作家当百九十余名を招き懇談会を開催、其の人々を評議員に推し、其の中より理事を選出、大会の準備を進めることとなつた。

現代美術館建設促進連盟結成

1937年02月

前記東叡会に依つて起された現代美術館建設促進運動は、二月十日実行委員会で協議の結果に依り、同二十二日午後上野精養軒で諸美術団体所属の美術家二百余名の会合を開催して現代美術館建設促進聯盟を結成、左の決議文を作成して実行委員を挙げ、具体的運動を進めることとなつた。 「建国二千六百年を期し美術国日本を世界に宣揚すべく現代美術館の建設を要望す」

落款請求の訴訟

1937年02月

竹内栖鳳に対し真筆確認及び落款請求と云ふ訴訟が二月二十二日東京民事地方裁判所に提起された四十年許り前に製作の花鳥画に所蔵者毛塚頼貞が落款を求めたが作者が断つた為此の訴訟に及んだものである。

寺崎広業胸像除幕

1937年02月

寺崎広業の青銅胸像が門下其の他有志の醵金に依つて東京美術学校々庭に建設され、故人の十九回忌に当る二月二十一日関係者参列の上除幕式を行つた。作者は内藤伸である。

墨人会倶楽部結成

1937年02月

小川芋銭、渡辺大虚、津田青楓小杉放庵、関西の矢野橋村菅楯彦等十二名の日本画家に依り二月二十日新団体墨人会倶楽部が結成された。東洋芸術の確認と進展とを期するものの集とし、個性を尚ぶ為に各人主義を採り、在野官展等画壇の党派問題に拘らぬ。六月第一回展を開く予定で翌年第二回よりは作品公募をする由である。

ベルリンオリンピツク優賞作将来

1937年02月

大日本体育芸術協会長森村市左衛門男は私費を投じて昨年ベルリンに開催されたオリンピツク大会芸術競技入賞作品六点を購入、美術教育資料として東京美術学校に寄附することとなり、免税の取扱を受けて二月十六日横浜税関で検査の上東京に運ばれた。品目は左の通りである。 アイゼン・メスガー作ゴール前の走者 油絵 アルフレツド・ヒール作ポスター「アヴス自動車競走」 写真 ゾーデルベルグ作取舵 エツチング ルピ・ヴイグノーリ作御者 彫刻 エミール・ストール作ハードル走者 浮彫 ルシアノ・メルカンテ作メダル 浮彫

田中松太郎を慰める会

1937年02月

我が国美術印刷の先覚者として美術界に縁故の深い半七製版所主田中松太郎の功績を感謝し晩年を慰める為、岡田三郎助和田英作高島米峰、石井柏亭、岩波茂雄等数十名が発起となり、二月十八日夜日本橋通三丁目明治屋ビル中央亭で田中翁に感謝する会を催し、有志の醵金と記念品とを贈つた。

自由芸術家協会結成

1937年02月

洋画壇に於ける最も前進的な運動として、新時代洋画展の長谷川三郎等を中心に十名の作家が新団体自由美術家協会を結成し、其の発会式を二月十二日丸之内マーブルで開いた。十四名の作家を会友とし、十数名の批評家等を顧問とする。年一回以上公募展を開催する予定で、作品の種類は普通の絵画技法に依るものの外、コラージユ、オブジエ、フオトグラム等を含んでゐる。

日本工芸品シカゴ陳列会

1937年02月

昭和十一年度商工省輸出工芸展出品中選出された各種工芸品は、旧臘日枝丸で発送シカゴに送られ、同地に於て二月十五日から二週間陳列会が開かれた。出品物内容は左の通りである。 陶磁器及硝子製品 九三 漆器 一三二 金属製品 六〇 木竹製品 三七 染織製品 四六 其他の製品 三一 工芸指導所出品 二五 陶磁器試験所出品 二一 合計 四四五

文化勲章令制定

1937年02月

科学、芸術其の他文化の発達に関し功績卓絶した者を表彰する為文化勲章令が制定され、紀元の佳節を卜し官報号外を以て公布された。

満州国訪日宣詔記念建造物設計当選者発表

1937年02月

満洲国宮内府内の訪日宣詔記念事業実行委員会では、予て宣詔記念建築物を計画、昨年九月設計図案の懸賞募集を発表し、十二月二十五日締切迄に集つた応募作品に就いて審査の結果当選者を決定、二月十一日左の如く発表した。応募総数二七四通、其の内訳は日本(内地及関東州)二〇〇、満洲より七四(日人六七、満人七)であつた。 一等 (三〇〇〇円) 新京 池田正巳 二等 (二〇〇〇円) 東京 大沢浩 三等(各一〇〇〇円) 新京 福地憲弘 同 石塚弥雄 選外佳作(各二〇〇円) 五名

日伊学会創立

1937年02月

日伊両国の文化交換聯絡の中心機関として日伊学会が創立され、二月十一日華族会館に於て発会式が行はれた。教授、芸術家、学生等の交換講演会、音楽会、展覧会等の開催、日伊文化に関する研究資料の蒐集展覧、両国文化に関する議事業の斡旋、研究の奨励其の他の事業を行ふ。役員としては会長男爵大倉喜七郎、副会長姉崎正治、理事長和田英作、常務理事原忠道、田中耕太郎、男爵団伊能矢代幸雄其の他理事十名が就任した。

内閣更迭

1937年02月

広田内閣総辞職の為後継として林内閣が二月二日成立、文部大臣は平生釟三郎に代つて首相林銑十郎が兼任された。

京都工芸院創立祝賀会

1937年02月

一月結成された京都工芸院の創立祝賀会は二月十日都ホテルで同会員並に多数来賓出席盛大に催された。

巴里万国博出品物非難さる

1937年01月

本年五月パリに開催される巴里万国博覧会日本館出品物展示会は一月二十二日から六日間日本橋高島屋に開催されたが、美術批評家協会では二十八日左のコムミユニケを発表し右出品に対する同会の非難を明かにした。 「近代生活にとり入れたる芸術と技術を命題とする巴里万国博覧会に対する日本側出陳作品は主催者仏国政府の趣旨を没却せるのみならず現代日本文化の実相を国際的に誤解せしむるものと信ず仍て本協会は博覧会当事者の措置を遺憾とし深甚なる其反省を望むものなり」

現代美術館建設促進運動

1937年02月

現代美術館の建設は紀元二千六百年祝賀を機会として実現せしむべく昨年平生文相に依つて計画されたが、其の後案の進捗を見ず且つ政変に依る同文相の辞職と共に一頓挫の形となつたので、東京府美術館借用各美術団体連絡機関の東叡会では二月一日総会を開き、現代美術館建設を促進すべく十余名の実行委員を選んで運動を始めることとなつた。

財産税立案さる

1937年01月

政府は税制の全般的改革を図り其の細目に就き審議中であつたが、成案を得て税制改革関係法律案三十五件を一月十九日衆議院に提出した。此の中には財産税新設が含まれ、其の法案に依れば個人の財産三万円以上のものに対して課税するが、国宝及重要美術品、命令を以て定むる範囲の家宝等は除かれるものとしてゐる。右財産税の設定は美術の発達上に影響あるものとして注意され、之に関する正木直彦の意見等が発表された。 

京都工芸院結成

1937年01月

京都に於ける各部門の工芸作家の綜合団体として京都工芸院の結成は旧臘其の成立を見たが、一月二十四日京大楽友会館に於て創立総会を行ひ正式に創立された。尚右に伴ひ従来工芸各専門の研究団体として存在した五条会、陶芸協会、彩工会、伸更会、漆芸会、金工作家聯盟、蒼潤社、工友園の八団体は何れも新団体に含まれることとなつて解消された。